『さらば愛しのやくざ』という映画をみる。
1990年の作品 主演:陣内孝則、柳葉敏郎
一昨日、訃報を知った、田中邦衛さんも脇役で出演されている。
単純に面白く哀しい映画だった。勿論エンタメの世界ではあるのだが、ヤクザ役の陣内さんがカッコよい。柳葉さんも若いが、筋を通す若者役を演じている。若き日の元スマップの稲垣吾郎さんも出演している。そしてヒロイン役の相楽晴子さんは綺麗だ。
田中邦衛さんの訃報と共に様々な方のコメントがニュースで流れた。
その中で、田中さんの作品の撮影スタッフが利用されていた居酒屋の大将が、『演じる役とは違い、実際の田中さんは健康を考え、殆どお酒は飲まなかった』と話されていた。こういうエピソードを聴けるのは有難い。一線で活躍している人たちが、普段どんな節制をしているかに興味がある。
独特の存在感、そしてカッコよさ。懐の深さ。人間の深さが、演じる役を魅力的にするのだろうか?演じるということを学んで、稽古の積み重ねで、作られるのだろうか?
北の国の黒板五郎役は、田中さんが49歳ぐらいから演じられているが、あの存在感。自分が49歳になった時、あの存在感をだせるかというと、自分を一流の俳優さんと比較してもしょうがないが、自分の薄さを痛感させられる。様々な世界で活躍する人々の存在というのは、自分を見つめるきっかけにもなる。
一流の人というのは、どんな世界でも、自分を磨き、それなりの存在感をもっていると思う。自分は一サラリーマンではあるが、少しは存在感をもった男になりたいものである。そのために、それなりの負荷をかけていく必要がある。仕事、鍛錬、まだまだ努力不足である。
禁欲生活が一つの節目の200日を超えて、今日、4月4日で202日。
禁欲も継続して自分を作るうえでの一つの負荷としていきたい。克己の訓練にはなると思う。性エネルギーを溜めて、活用しながら、昇華しながら、いかに女性に紳士的に接することができるか、性欲をコントロールできるかがこれからの継続課題である。単なるムラムラ男にならないように、意識して自分をコントロールできるようにしていきたい。
以前投稿した記事でも書いたかもしれないが、何となくイメージするのは、バガボンドの宮本武蔵であり、ろくでなしブルースの前田太尊である。強いけれど、女性や子供に決して危害を加えるような男ではないと、分かる男ならわかってくれる男。少し意味合いは違うが、粗にして野だが卑ではない、的な。女性を大切にすることとは何なのかを考えていきたい。
関連して、男は、やはり、ポルノからできるだけ遠ざかるのが良いと思う。勿論、それが楽しみでストレス解消になっている人もいるだろうし、人それぞれだとは思うが。
色々な性的嗜好と言ってしまえばそれまでだが、ポルノ作品の内容のほとんどが、欲望に溺れてしまう弱い男、企画ものによっては最低な男を描いている。それを年中見ていれば、虚構の世界と理解していても、脳は何らかの影響やダメージをうけてしまうだろう。男の本質的な部分が弱くなってしまう気がする。
自分も変態な部分はあるが、変態の欲望を暴走させず制御して、良い方向に更新させていければと思っている。それも自分なりの男の修行である。
今日見た、さらば愛しのヤクザの陣内さんが演じる藤島悟郎がカッコ良いのは、一つは根が優しく、強く、スケベではあるが卑怯ではないからである。
例えば、将来、良い女性と、密室で二人きりで良い雰囲気になったとしても、流されてはいけない時は、流されない、そんな自分を作りたいものである。まぁ、こんなことを考える自分もかなり痛々しいが、そういう気概は持ちたい。
頑張ろう。
話は変わるが、三浦新監督の横浜がなかなか勝てない。しかし最初に苦しんだからこそ、三浦監督は将来名監督になられるのではないかと思っている。