節氣刊 男の修行

人生に感謝 節制と禁欲と筋トレと読書

妄想と自慰行為の境界

禁欲ブログランキングにあった
とある方のブログを読ませていただいた。

ブログ記事には、性的な眼で女性をみてしまったことへの反省などが、細かく書かれていた。
1年以上更新は止まっているブログである。


その方の基準を自分に当てはめると、
自分の場合、気にしすぎて生活が厳しくなると思う。


ついつい女性に目が行く
これは、仕方がないと、自分は割きっている。


このブログを読んで下さる方は、だいたい男だろうと思っているが、
もし、たまたまこの記事に縁のあった女性がいたら言いたい。

本当に、エロい気持ちがなくても、つい胸とかお尻とかに目が行くことがあるんです‼️
まるで、磁石に金属が吸い寄せられるように。
不思議なんです。





すみません、話は戻って

生殖能力のある、男である限り、
動物的な側面では、無意識に、もしくは意識的に常に生殖の相手を探しているのだろう。

仏教には、人間の段階として、下から、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏と分ける教えがあるらしい。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%95%8C

性欲に囚われる状態は畜生になるのだろうか?




わざと性的な眼で女性を見に行く。
これは、良くないだろう。

ここの基準は、人により異なるだろう。


わざと、性的な眼で女性をみる、
そして、性的なことを妄想する、
これは、程度次第では、自慰行為とかわらないだろう。
基本的に自分を律する芯がなければならない。


ふと浮かぶ妄想に妄想を重ね続ける。
あえて妄想する。
習慣的に妄想する。

下半身に手が行かずとも、
射精を伴っていなくても、
自慰行為だろう。

妄想で自分を慰めている。
特に習慣化してしまうと良くないだろう。


そう考えると、オナ禁、エロ禁というのは、
改めて、本当に簡単なものではない。
厳しくすればきりがない。

ふと浮かぶ妄想も、実は習慣化したもの、
実はわざとかもしれない。




しかし、ネットでなく、リアルに、つい目が行くような、魅力あふれる女性がいることには感謝したい。

しかし、同じ女性でも、全く、魅力を感じない人もいる。生物学的には同じなのに、どこに違いがあるのだろう?

これは、男にもあてはまるのだろう。
魅力の有り無しとはシビアである。





自分は断射が、あと少しで500日を迎えるが、
妄想と自慰行為の境界の設定次第では
自慰行為継続日数は少なくなるだろう。

つい、浮かぶ妄想、
妄想に妄想を重ねないように、
改めて、その辺を気をつけていこうと思う。



しかし、全く妄想が浮かばないのも寂しい。
そう思ってしまう自分の感覚は、
良くないのだろうか?

いい女だなと思いながらも、妄想が起きないように、妄想を重ねないように悪戦苦闘するくらいが丁度よい気もするが。

目的は女性に興味を失うことではないから、
試行錯誤しながらやっていこう。


ふと女性に関する妄想が浮かんだら、
自分の場合、寝る前は危険である。
その女性の幸せを願う、祈る、方向に転換して対応してみよう。
一昨日はそれで上手くいった気がする。









自慰行為がやめれない人、
セクシー女優にお世話になっている人、
おかずにする前に、
おかずにしてしまった後に
その対象の女性、セクシー女優に感謝し、その幸せを祈ってみたら、イメージしてみたらどうだろう?

少しは優しい気持ちになる分、精神衛生的には良いかもしれない。